年を取ると若いひとの感情がいくらかわかるようになり、気が楽になるかというとそうでもない。わかるということは苛立ちを招くことがあり、わかったつもりが勘違いということもある。いらぬ説教をしてシラケさせたり疎まれたりもする。若いころは悩みも単純でいいな、というのがこの映画に関してのひかえめな感想だが、自分自身を振り返ってそう思うのである。
看護師として日々、死と向き合う美香(石橋静河)は、夜はガールズバーで働いている。不機嫌で煙草の量も多い。昼間の仕事に影響が出ないかと心配だが、きっと若さで乗り切っているのだろう。偶然が重なって気になる存在になった、雇われ労務者の慎二(池松壮亮)は、不自然なほど多弁になることがあって仕事仲間からは浮いている。そのいっぽう、賑やかな居酒屋でひとり文庫本を読むこともある。二人は自意識の塊のようだ。美香と慎二は、それぞれの自意識が反応してめぐり逢ったのだろう。
題名に示唆されるように、二人の自意識が肥大するのは、住んでいる東京という街のせいでもある。東京といっても、渋谷や新宿といった、わかりやすい繁華街のイメージだ。かつて地方からやって来てひとたちに、東京の東半分(足立区)に住んでいると揶揄された身としては、妙な気分になる。人間の多いゴミゴミした下町生まれには、異郷である東京に住むことの甘さや苦味がピンとこないうえ、その被害者意識がなんだか鬱陶しい。
詩人、最果タヒ原作の映画化で、彼女の詩がたびたびぶっきらぼうに“朗読”される。詩人と称するひとたちに縁がないので、正直言うと、表わされる生々しい孤独や批評意識が肌に障る。けれども、演じる石橋静河と池松壮亮の様子をじっと見ていると、演じる若い二人の格闘につきあっていこうと思うようになる。
おまけに、彼らの格闘をどこ吹く風というふうに見る年輩労務者・岩下(田中哲司)の、人生後半にさしかかった者のエピソードが思いがけずチャーミングだ。彼は絶望してもおかしくない境遇に至っても「おれはまだ生きているぞ」と言い放ち、よろよろと街に漂い出ていく。人間は慎二の仕事仲間・智之(松田龍平)のように簡単に死んでしまうこともあるが、先輩のように、そう簡単には死ねない生きものでもある。そのことが静かに胸に落ちる。
どうやら未来をともにする約束をしたらしい美香と慎二は、お互いの欠けている部分こそが、お互いを救う鍵だと信じることにしたようである。そうやって落ち着いて年を重ねていけば、きっと世界は思いがけず柔らかく広々したものだと納得のいく日が来るはずである。人間はきっと本能的に、悲観的にはなりきれない生きものなのである。ちょっと肩をすくめて笑ってみようか。
(内海陽子)
映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ
全国公開中
配給:東京テアトル、リトルモア
公式HP:http://www.yozora-movie.com/